どうか、主がかの日に、あわれみを彼に賜わるように。――彼がエペソで、どれほどわたしに仕えてくれたかは、だれよりもあなたがよく知っている。
神は不義なかたではないから、あなたがたの働きや、あなたがたがかつて聖徒に仕え、今もなお仕えて、御名のために示してくれた愛を、お忘れになることはない。
そのためにまた、わたしはこのような苦しみを受けているが、それを恥としない。なぜなら、わたしは自分の信じてきたかたを知っており、またそのかたは、わたしにゆだねられているものを、かの日に至るまで守って下さることができると、確信しているからである。
どうか、主が、オネシポロの家にあわれみをたれて下さるように。彼はたびたび、わたしを慰めてくれ、またわたしの鎖を恥とも思わないで、
わたしがマケドニヤに向かって出発する際、頼んでおいたように、あなたはエペソにとどまっていて、ある人々に、違った教を説くことをせず、
エペソにある教会の御使に、こう書きおくりなさい。 『右の手に七つの星を持つ者、七つの金の燭台の間を歩く者が、次のように言われる。
この救については、あなたがたに対する恵みのことを預言した預言者たちも、たずね求め、かつ、つぶさに調べた。
わたしはテキコをエペソにつかわした。
実際、わたしたちの主イエスの来臨にあたって、わたしたちの望みと喜びと誇の冠となるべき者は、あなたがたを外にして、だれがあるだろうか。
しかるに、あわれみに富む神は、わたしたちを愛して下さったその大きな愛をもって、
聖徒たちに対する援助については、いまさら、あなたがたに書きおくる必要はない。
しかし五旬節までは、エペソに滞在するつもりだ。というのは、有力な働きの門がわたしのために大きく開かれているし、
アポロがコリントにいた時、パウロは奥地をとおってエペソにきた。そして、ある弟子たちに出会って、
ヘロデの家令クーザの妻ヨハンナ、スザンナ、そのほか多くの婦人たちも一緒にいて、自分たちの持ち物をもって一行に奉仕した。
これはわたしたちの神のあわれみ深い みこころによる。 また、そのあわれみによって、日の光が上から わたしたちに臨み、
こうして、神はわたしたちの父祖たちに あわれみをかけ、その聖なる契約、
主に呼ばわって言った、「わが神、主よ、あなたはわたしが宿っている家のやもめにさえ災をくだして、子供を殺されるのですか」。
一行がエペソに着くと、パウロはふたりをそこに残しておき、自分だけ会堂にはいって、ユダヤ人たちと論じた。
「神のみこころなら、またあなたがたのところに帰ってこよう」と言って、別れを告げ、エペソから船出した。
主もまた、あなたがたを最後まで堅くささえて、わたしたちの主イエス・キリストの日に、責められるところのない者にして下さるであろう。
それぞれの仕事は、はっきりとわかってくる。すなわち、かの日は火の中に現れて、それを明らかにし、またその火は、それぞれの仕事がどんなものであるかを、ためすであろう。
ローマに着いた時には、熱心にわたしを捜しまわった末、尋ね出してくれたのである。
今や、義の冠がわたしを待っているばかりである。かの日には、公平な審判者である主が、それを授けて下さるであろう。わたしばかりではなく、主の出現を心から待ち望んでいたすべての人にも授けて下さるであろう。